嫌われる勇気

  1. もしも人間が変われる存在だとするなら、原因論に基づく価値観などありえず、自ずと目的論に立脚(りっきゃく)せざるをえないと。
  2. 変わるとこの第一歩は、知ることにあります。
  3. もしも幸せを実感できずにいるのであれば、「このまま」でいいはずがない。
  4. 大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたのもをどう使うかである。
  5. もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるなら、再び自分で選び直すことも可能なはずです。
  6. もちろん、自らの生まれを選ぶことは誰にもできません。この国に生まれること、この時代に生まれこと、この両親のもとに生まれること、すべて自分で選んだものではない。しかしそれらは、かなり大きな影響力を持っている。不満もあるでしょうし、他者を見て「あんな境遇に生まれたかった」と思う気持ちも出て来るでしょう。でも、そこで終わってはいけないのです。問題は過去ではなく、現在の「ここ」にあります。いま、あなたはここでライフスタイルを知ってしまった。であれば、この先どうするのかはあなたの責任なのです。これまでどうりのライフスタイルを選び続けることも、新しいライフスタイルを選びなおすことも、すべてはあなたの一存にかかっています。
  7. あなたは「あなた」のまま、ただライフスタイルを選び直せばいい。
  8. これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ。
  9. われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのです。
  10. もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない。もし本当に自信を持っていたら、自慢などしません。劣等感が強いからこそ、自慢する。自らが優れていることを、ことさら誇示しようとする。そうでもしないと、周囲のだれ一人として「こんな自分」を認めてくれないと怖れている。これは完全な優越コンプレックスです。
  11. 自らの不幸を「特別」であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とすることになります。
  12. 人は、対人関係の中で「私は正しいのだ」と確信する瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。
  13. 人生のタスク
    • 行動面の目標
      • 自立すること
      • 社会と調和して暮らせること
    • 心理面の目標
      • 私には能力がある、という意識
      • 人々は私の仲間である、という意識
  14. アドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです。お互いに束縛し合うような関係は、やがて破綻してしまうでしょう。人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えた時、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。
  15. 世界はいつでも危険なところになりうるし、あらゆる他者を「敵」と見なすことも可能なのです。さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。
  16. アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
  17. われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。他者の期待など、満たす必要はないのです。
  18. われわれは「これはだれの課題か?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。他者の課題には踏み込まない。あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーーによって引き起こされます。
  19. 自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善な道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者のどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
  20. 課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ入口なのです。例えば本を読む時、顔を本に近づけすぎると何見えなくなりますね?それと同じで、良好な対人関係を結ぶには、あるほどの距離が必要です。
  21. カントは欲望のことを「傾向性」と呼びました。本能的な欲望、衝動的な欲望ということです。では、そうした傾向性のおもむくまま、すなわちな欲望や衝動のおもむくまま生きること、坂道を転がる石のように生きることが「自由」なのかというと、それは違います。そんな生き方は欲望や衝動の奴隷でしかない。本当の自由とは、転がる自分を下から押し上げて行くような態度なのです。
  22. 対人関係のカードは、常に「わたし」が握っている。
  23. 対人関係の入口には「課題の分離」があり、ゴールには「共同体感覚」がある。そして共同体感覚とは、「他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられること」である。
  24. いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。評価の言葉とは、縦の関係から出てくる言葉です。
  25. 人は、自分には価値があると思えた時にだけ、勇気を持てる。
  26. 人は「私は共同体にとって有益なのだ」と思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。
  27. まず、交換不能な「これわたし」をありのままに受け入れること。それが自己受容です。そして他者に対して無条件の信頼を寄せるっことが、他者信頼になります。自分を受け入れることができて、なおかつ他者を信頼することができる。この場合、他者とは仲間という存在になります。もし他者が仲間であれば、自分の属する共同体に居場所を見出すことに繋がっています。「ここにいてもいいんだ」という所属感を得ることができるわけです。
  28. 他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。
  29. 幸福とは、貢献感である。
  30. 人は自分を好きになりたい。自分には価値があるのだと思いたい。そのためには「わたしは誰かの役に立っている」という貢献感が欲しい。そして貢献感を得るための手段として、他者からの承認を求めているのです。つまり、承認欲求は貢献感を得るための手段だと言えます。承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。
  31. なぜ「特別」になる必要があるのか?それは「普通の自分」が受け入れられないからでしょう。だからこそ、「特別によくある」ことがくじかれた時、「特別に悪くある」ことへと極端な飛躍をしてしまうのです。
  32. もしも人生が線であるのなら、人生設計も可能でしょう。しかし、われわれの人生は点の連続でしかない。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。
  33. 人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。